わたしの街のいいところ だから、この街で暮らしています。

  • 「人と人の、あたたかなつながりが息づく街」酒のつぼい 店主 坪井さん
  • 「30代の若い世代でも等身大で暮らせる街」大江さんご夫妻
  • 掲載されいている情報は、2013年6月取材時のものとなります。

一帯に大根畑が広がっていた古き良き時代の御器所。

御器所の街を南北に走る塩付通で、古くから酒屋を営む坪井さん。昭和50年、結婚とともに奥様の実家の酒屋を継いだ当時のことを、こう振り返ります。

「御器所に引っ越してきた頃は、この辺り一体は大根畑だったんですよ。熱田神宮や名古屋港の花火が見えるくらい、遠くまで街を見渡せて。近くで商売をやっているのは、戦後から続くうちと、同じ通りの「高砂」さん(和菓子店)くらいでした。若い人たちは瑞穂区や天白区に住む人が多く、お年寄りが多い街という印象でしたね」。

ディスカウントストアが急成長した昭和50年代。坪井さんは時流に逆らい、自分の足で日本各地の小さな酒蔵を訪ね、杜氏や生産者に合って納得したお酒だけを販売するスタイルに切り替えます。当時は型破りともいえる挑戦でしたが、御器所の街の変遷とともに、坪井さんの努力が功を奏することになるのです。

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地下鉄鶴舞線の開通とともに街が活気づいた昭和50年代。

「昭和52年に地下鉄の鶴舞線が開通してから、街は急速に活気づき始めました。タイル工場だった場所に現在の「西友」がオープンし、コンビニエンスストアや全国チェーンの飲食店、大型マンションなどが次々と建ち並んでいったんです」。

つぼい酒店は昭和55年にリニューアルし、配達から店頭販売メインの形態に転換。量販店では手に入らない珍しい地酒や食品を扱っていたことから、名古屋駅や栄で働く人々に少しずつ認知され、仕事帰りに立ち寄る顧客が増えていったそうです。

「今は22時までの営業ですが、一時は24時まで店を開けていたこともありました。それくらい人の流れが変わったんです。現在も、昔からの常連さんは、遠方からでも足を運んでくれています」。

都市として発展し便利になっても、街のすみずみに人と人の温かなつながりが息づいているのです。

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安心して暮らせる街だから、大切な家族と住み続けたい。

「御器所から一旦は離れても戻ってくる人や、『一度住むと、ほかの街には引っ越したくない』という人が少なくないんです」と坪井さん。その理由に、地下鉄2路線が乗り入れる利便性の高さや、昭和区は名古屋市内でも犯罪発生件数が少なく治安がよいこと。そして、大学病院や救命救急センターなどの医療機関が充実している点を挙げます。

「長男一家もすぐそばで暮らしているのですが、やはり安心して子どもを育てられる環境は価値があると思います。徒歩圏内に小さな公園がいくつかあるし、鶴舞公園も近いので、よく孫を連れて遊びに行くんですよ。毎年夏になると、近くの神社で昔ながらのお祭りが行われるので、孫たちも楽しみにしています」。

3世代で御器所の暮らしを楽しむ坪井さん一家。つぼい酒店を訪れたら、まだまだ奥深いこの街の魅力を尋ねてみてください。

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